第9回
一条真也
『悪人』上下巻 吉田修一著(朝日文庫)

 

 長崎に住む青年・清水祐一は、幼い頃に母親に捨てられ、祖父母に引き取られました。彼は叔父が経営する小さな会社で土木作業員をし、祖父母の手伝いをする日々です。そんな中で、ヘルス嬢を真剣に好きになり、毎日のように通いつめたこともありました。しかし、彼のあまりにも純粋で一途な態度に違和感をおぼえたヘルス嬢は、行方をくらましてしまいます。
 その後、彼は携帯の「出会い系サイト」で知り合った博多の若いOLと関係を持ちます。そして、デートの約束をすっぽかされた夜、祐一は彼女を殺害してしまうのです。
 最終章で、おそらく最重要となるセリフを被害者の父親が吐いています。
 まず、彼は一人の学生に対し、「あんた、大切な人はおるね?」と問いかけます。「大切な人」とは、「その人の幸せな様子を思うだけで、自分までうれしくなってくるような人」だといいます。そして、彼はこう語ります。
「今の世の中、大切な人もおらん人が多すぎったい。大切な人がおらん人間は、何でもできると思い込む。自分には失うもんがなかっち、それで自分が強うなった気になっとる。失うものもなければ、欲しいものもない。だけんやろ、自分を余裕のある人間っち思い込んで、失ったり、欲しがったり一喜一憂する人間を、馬鹿にした目で眺めとる。そうじゃなかとよ。本当はそれじゃ駄目とよ」
 現代社会では、多くの人々が「自立」ということを勘違いして、単なる「孤立」を生んでいるような気がします。その意味で、この言葉は「無縁社会」に生きるすべての人々に向けられたものかもしれません。