第29回
一条真也
『舟を編む』三浦しをん著(光文社)

 

 言わずと知れた、2012年本屋大賞に輝いた作品です。「辞書編纂」というマニアックなテーマながら多くの読者を得て、ベストセラーになりました。
 玄武書房に勤める馬締光也は、営業部に在籍していましたが、変人として持て余されていました。ところが、新しい辞書『大渡海』編纂メンバーとして辞書編集部に迎えられます。問題が山積みの部署でしたが、馬締はひたすら辞書の世界に没頭します。個性的な面々ばかりの辞書編集部では、言葉こそが最大の絆でした。果たして、『大渡海』は完成するのか。
 すでにベストセラー作家としての地位を得ている著者が、「言葉への敬意、不完全な人間たちへの愛おしさ」を謳いあげた長編小説です。
  『舟を編む』というタイトルを最初に知ったとき、わたしは「おおっ!」と思いました。そう、辞書とは言葉の海を渡る舟なのです。じつは、わたしは常々、『論語』を船のような存在ではないかと思っていました。それで、『舟を編む』という言葉に反応してしまったわけです。
  『大渡海』が言葉の海を渡る舟なら、『論語』は人生を渡る船ではないかと思います。「志学」や「而立」や「不惑」や「知命」や「耳順」や「従心」といったものは、人生の港であり、『論語』という船に乗れば、安全に次の港に辿りつけるような気がしてならないのです。わたしたちの先祖たちの多くも、『論語』で人生の海を渡りました。世界には『旧約聖書』や『新訳聖書』や『コーラン』をはじめ、さまざまな書物を舟としてきた人々もいます。辞書にしろ、辞書以外の書物にしろ、本とは基本的にすべて舟なのです。
 それにしても、言葉の持つ力というのは、まことに偉大ですね。