2005
01
株式会社サンレー

 代表取締役社長

  佐久間 庸和

「サンレーは魂のお世話をする会社

 結魂と送魂で、いま雄飛のとき!」

朝鮮半島と日本

 輝かしい新年をみなさんとともに迎えられることを大変嬉しく思います。
 昨年一年間は「災」の一字に象徴されたように、台風・地震といった災害やイラクでの戦災、そして各種の人災が相次ぎました。最後に「紀宮さま御成婚」の明るいニュースが年末に発表されたのがせめてもの救いでした。あらためて、結婚とは最高に明るい話題なのだなと実感します。やはり、結婚は最高の平和なのですね。
 せっかく12月30日に発表されて、翌31日の新聞一面を飾りましたが、残念なことに長野の小学生殺人事件の犯人が同日に逮捕され、こちらが各紙の大晦日朝刊トップ記事で、御成婚は二番目になりました。最後まで暗いニュースで年を終えることになり、警視庁もせめてもう一日早く逮捕すべきであったと個人的には思います。
 私にとって、昨年もっとも印象に残ったニュースは、横田めぐみさんの遺骨が偽物であったことでした。これには本当にはらわたが煮えくりかえった!北朝鮮は他国民を愚弄するにも程がある。金正日に対する日本国民の怒りは日毎エスカレートする一方です。とにかく昨年、日本人に一番憎まれたのが将軍様で、一番愛されたのがヨン様でした。朝鮮半島という同じ半島に住む同一民族でありながら、将軍様とヨン様に対する感情のあまりの正反対ぶりは考えさせられます。もともと朝鮮半島と日本との縁はとてつもなく深く、さかのぼれば百済から仏教と儒教が日本に伝えられました。仏教と儒教といえば、日本人の精神文化を形成している二本柱であり、その恩恵はいくら語っても語り尽くせません。日本人の心に与えたインパクトは、もう韓流ドラマどころの話ではない。
 地政学的に見れば、朝鮮半島は日本のわき腹に突きつけられた匕首(あいくち)のような存在です。形も本当に匕首のような形をしている。ここを帝政ロシアに占領されれば明治日本の未来はなく、朝鮮半島の問題がなければ日清戦争も日露戦争も起こりえませんでした。
 その日露戦争開戦から百年目がちょうど昨年でした。極東の小国が明治維新からわずか27年でアジア最大の国・清を打ち破り、さらに数年後に世界最強のロシアに挑んだ日露戦争は「奇跡の戦争」と呼ばれています。奉天会戦は人類史上最大の陸上戦でしたし、日本海決戦は最大の海上戦でした。その日本海決戦を制した元帥・東郷平八郎の名文句が、「皇国の興廃この一戦にあり」です。
 この戦いに敗れていれば、おそらく日本は消滅していたでしょう。それにならえば、わがサンレーの興廃は昨年にありました。「サンレ−の興廃この一年にあり」と私はずっと思っていた。いわずと知れたサンレーグランドホテルのオープンです。結婚式場を葬祭会館に転換するというのは業界においても珍しくありませんし、当社でも成功事例があります。しかし、松柏園グランドホテルほどの大きなホテルを業態転換するというのは前代未聞であり、綿密な計画を練った上とはいえ、まったくの未知数でした。私は一昨年の末からグランドホテルのことを考えると心配で眠れない夜が続き、どうせ眠れないならベッドの上で悶々としているのも馬鹿らしいと思い、起き出して本を書くことにしました。それが『老福論』です。書いているうちに好老社会や老福都市といったアイデアが次々に浮かび、「世に必要な事業は必ず成功する」との確信を得るに至りました。
 昨年2月に無事オープンしてからは大きな話題となり、各マスコミでも紹介されました。開業以来、現在に至るまで目標を大幅に超過達成しています。この種の施設が最初から軌道に乗るのはおそらく前例がないと思います。結果は大成功でした。おかげさまでサンレーグループは、最大の山場だった昨年を最高の好業績で終えることができました。これも、毎日がんばって下さるみなさんのおかげです。本当にありがとうございました。

一番親しいのは「親」

 さて、前に戻りますが、紀宮さま御成婚の正式発表は二度にわたり延期されました。一度目は、新潟中越地震の被災者に配慮されて。二度目は、高松宮妃殿下の御逝去により喪に服されたためです。ところが三度目の延期をすべきかどうかという議論もあったようです。例のインドネシア・スマトラ沖地震および津波の被災者への配慮がその理由です。しかし、すでに二度も延期しており、日本国内の災害ではないためという理由で三度目の延期は見送られたようです。
 私は、これを聞いて大いに納得し、また考えるところがありました。もちろん死者12万人にもおよぶという大地震の犠牲者は本当にお気の毒であり、心から哀悼の意を捧げますが、やはり私たち日本人にとって最も問題となるのは日本人の死です。かつて孟子は「もっとも悲しいのは、親の死である」と述べ、親の葬儀をあげることが人としての最優先事と主張しました。これに対して、墨子という博愛主義者が「親のみに愛情を抱くのは間違っている。広く万人に思いを馳せるべきだ」と言いました。しかし、親が死ぬのも、隣のおじさんが死ぬのも、遠くの町に住む見ず知らずの人が死ぬのも同じように悲しいというのは、どう考えても無理があります。親というのは一番親しいから「親」という字を当てるのであり、親の死が何よりも悲しいはずです。そして、それに勝る唯一のものがあるとすれば、吉田松陰が「親思ふ心に勝る親心」と辞世の歌に詠んだように、わが子の死以外にはないでしょう。とにかく親とか子に対して最大の愛情を感じ、その死を悲しむことは人間の自然な感情なのです。
 もちろん「人類愛」とか「世界平和」を真剣に唱える人々がいるのはよく知っていますし、私にも共感する部分は大いにあります。しかし、そういった壮大なテーマは偽善とは言わないが、きわめて難しいことなのです。やはり、私たちはまず、親しい者の死、外国人よりも日本人の死に思いを馳せるものです。私はよく出張で全国いろいろな所に赴きますが、かつて多くの死者を出したという土地に行くと、必ず黙祷するようにしています。そして、そこで亡くなった霊に対して「安らかにお眠りください」と祈りを捧げます。先日も、壇ノ浦の海に向かって黙祷してきました。
 今年のNHK大河ドラマは「義経」です。義経といえば「悲劇の英雄」と思われていますが、その義経も平家を滅ぼしました。まだ幼い安徳天皇が怖がるのを祖母で清盛の妻だった平時子が「海の底に都がありますよ」と言って幼帝を抱き、海に飛び込んだのです。「ヒストリー」とは「ストーリー」ですが、壇ノ浦の歴史にはそんな悲しい物語があります。

紫雲閣の使命は送魂

 思えば、いたる場所で多くの日本人が自然死ではない非業の死を遂げてきました。壇ノ浦で死に、川中島で死に、桶狭間で死に、関ケ原で死に、平和な江戸時代をはさんで、世界史上に例のない江戸城の無血開城を果たした後も、鳥羽・伏見で死に、函館・五稜郭で死に、田原坂で死にました。国内だけではありません。旅順、特に二百三高地で大量の日本兵が幻のごとく死に、太平洋戦争ではノモンハン、ミッドウエー、ガダルカナル、インパール、レイテでとにかく死に死に死んで、死にに死んだ。
 戦争が終わってからもシベリアで本当に多くの日本人が無念のうちに死んだ。首都・東京も大空襲で多くの死者を出し、沖縄では本土決戦を前に、まだうら若き乙女たち、ひめゆり部隊をはじめ多くの尊い命が犠牲になった。その後、人類史上初の核兵器である原子爆弾が広島に投下された。
 核の脅威だ何だと世界中で騒いでいますが、まだ人類はたったの二回しか核兵器を使用していません。最初が広島の原爆です。そして二回目は、小倉に落ちるはずだった。北九州の上空まで来たが、たまたまの悪天候のため視界不良で、次の標的地であった長崎に変更したのです。長崎の原爆は、本当は小倉に落ちるはずだった。死ぬのは長崎の人々ではなく、小倉の人々のはずだったのです。当初の予定通り、小倉に原爆が落ちていれば、当時、小倉に住んでいた副社長つまり私の母はおそらく死に、当然ながら私はこの世に生まれていなかったことでしょう。
 そんなこの世に存在しなかったはずの私が、いま、ここで、こうやって、みなさんに話をしているとは、なんと不思議なことかと呆然とする思いです。
 8月9日には毎年、私は長崎の原爆で亡くなられた方々のご冥福を祈っています。死んだ方々のおかげで、いま私たちは生きていることを決して忘れてはなりません。沖縄のひめゆりの塔で、神風特攻隊が飛び立っていった鹿児島の知覧で、そして靖国神社に置かれている人間魚雷・回天の前で、しばしば私は腰が抜けたように動けなくなり、合掌して涙を流しながら亡くなった方々に心から感謝の念を捧げます。この方々のおかげで、私は生かされているのだと思うと、申し訳なくて、有難くて、本当にたまらない気持ちになるのです。
 小倉にサンレーの本社があるのも意味があると私は思っています。私以外にも、原爆が落ちて本当はこの世に存在していなかったはずの人たちがサンレーにはたくさんいます。サンレー、特に紫雲閣の使命とは、日本人の魂を慰め、安らかにあの世にお送りすること、つまり送魂することに他なりません。
 そこで一言。「魂を送れ、紫雲閣!」

究極の結魂式を発見

 そして、日本におけるもうひとつの魂の大問題があります。離婚がますます増えていることです。私は『結魂論』において、結婚とは男女の魂が結びつく結魂であり、ハウスウエディングに代表されるカジュアルな結婚式は離魂につながると危惧して、儀式の重要性を唱えました。 しかし、その後も事態はさらに悪化し、離婚は増え続ける一方です。サンレーが、なんとかこの流れを食い止めなければならない。
 明治記念館のようにいまだに厳粛な神前式のみで4,000件を扱う素晴らしい式場もありますが、一般的にはこれだけヨーロピアンスタイルが全盛の中で、当社が神前式のみで対抗するのは正直いって難しい。そこで、私はハウスウエディングを超越するコンセプトをさがすことが先決と考えました。ハウスウエディングというのは、ほとんどすべてがイギリス館、フランス館、イタリア館といった馬鹿の一つおぼえ、ワンパターンのスタイルです。ヨーロッパの雰囲気を売り物にしているわけですが、イギリスもフランスもイタリアも超えるものを私はついに発見しました。
 それは、ローマです。ローマといっても、現在のイタリアにあるローマ市ではありません。イタリアもフランスもイギリスも、その他のすべてのヨーロッパ諸国もことごとくその領土とした、かの古代ローマ帝国のことです。ローマこそは、ヨーロッパを超えるメタ・コンセプトとなりえる。また、ローマ学の第一人者である作家・塩野七生さんの一連の著作がベストセラーになり、日本は空前のローマ・ブームに沸きかえっていますが、「普遍帝国」と呼ばれたローマにはブームを超越した普遍性があります。つまり、「不易」と「流行」の相反する両方のテーマを追えるものがローマなのです。現代の日本人の結婚式は完全にヨーロッパに目が向いていますが、その欧風結婚式の源流をたどればローマに行き着きます。実際、ウエディングドレスやブーケや新郎が新婦を抱きかかえる儀式などはすべてローマから生まれたものです。
 昨年、まさにローマにおいて塩野七生さんにお会いした私は、「これからはローマだ!」と確信しました。そして、サンレーグループ発祥の地である松柏園ホテルの隣接地にローマ風結婚式場「ヴィラ・ルーチェ」をオープンさせることに至ったのです。イタリア語で「太陽の別荘」を意味するヴィラ・ルーチェは、古代のローマン・ウエディングを再現する聖なる場所ですが、ローマ帝国の遺跡をモチーフとした庭園を備えています。映画「ローマの休日」で有名になった真実の口もここにあります。松柏園には多くの方々に好評の日本庭園があり、日本庭園と西洋庭園の両方を持っている施設というのは全国でもきわめて珍しい存在となります。いわば「和洋折衷」を超える「和洋共生」の実現で、営業上の強力な武器となるでしょう。
 このヴィラ・ルーチェではさまざまな実験を試みて、その後、グループの各施設に水平展開していく予定です。演出に工夫を凝らし、荘厳な雰囲気を醸し出して、感動を与える結婚式と披露宴を提供することによって、日本人の離婚を一件でも減らしていかなければなりません。一生ともに人生を歩んでいけるよう新郎・新婦の魂をがっちりと結びつけることが冠婚のみなさんの使命です。
 そこで、「魂を結べ、松柏園!」

魂のお世話という聖業

 このように結魂と送魂がサンレーグループの仕事です。当社は、日本人の魂のお世話をする会社、魂のサービス業なのです。この世に賤しい仕事つまり賤業というものはないはずですが、聖なる仕事つまり聖業というものは確実に存在します。そして、魂のお世話という私たちの仕事が聖業でなくて、何が聖業でしょうか?これほど志の高い会社がどこにあるでしょうか?今年は酉年ですが、鳥にも大きな鳥と小さな鳥がいます。
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」という言葉が『史記』にあります。鴻鵠とは、色白く鶴に似て大なる鳥です。燕や雀のような小鳥には、そういう大きな鳥の考えていることはわからない。同様に、同業他社にどうしてサンレーの志が理解できましょうか!
  「伏すこと久しきものは、飛ぶこと必ず高し」という言葉が中国古典の『菜根譚』に出てきます。雌鳥が雄鶏に服従している様子を「雌伏」という。苦難の状況に身をまかせながら活躍できる機会の来るのをじっと待つときに使われます。そして、雄鶏が飛揚するように、勢い盛んに勇ましく活動する様が「雄飛」です。
 実に10年もの雌伏の時間を経た我がサンレーは、いよいよ雄飛のときを迎えました。空より高く海より大きな使命を抱くサンレーの時代がいよいよ幕を開けようとしています。
 今年も、よろしくお願いいたします。