2006
01
株式会社サンレー
代表取締役社長
佐久間 庸和
「世界平和は冠婚葬祭から!
多神教プロジェクトが人類を救う」
●オリュンポス十二神の顔ぶれ
あいかわらずお客様からは人気を、業界からは注目を集めている古代ローマ風結婚式場「ヴィラ・ルーチェ」の庭園が進化しました。ギリシャ・ローマ神話の主役であるオリュンポス十二神の等身大像がついに到着し、庭園内に神々が一堂に会する野外神殿が完成したのです。
これまでも十二神のうちいくつかの像が揃うことはありましたが、すべての神々が、しかも平均180センチという等身大で揃うことは、全国でも初めてであり、大きな話題を呼んでいます。
オリュンポス十二神について簡単に説明します。まずは、ゼウス。最高神にして父なる神です。ホメロスは『イリアス』の中で、「ゼウスが自分の宮殿に帰ってきた。父なる神が近づくのを見て神々はみな席から立ち上がった」と書いています。ゼウスは天空を支配し、あらゆる気象現象を司り、他の神々すべてを合わせたより強い力を持ちます。オリュンポスの玉座から神と人間を支配するのがゼウスなのです。
次に、ヘラ。ゼウスの妻で、結婚と誕生の女神です。ヴィラ・ルーチェでは人気を集めそうですね。ポセイドンはゼウスの兄弟で、海神として有名です。泉を湧き出させ、馬や雄牛を造り出したとも言われます。
へパイトスはゼウスとヘラの息子で、火と火山の神です。鍛冶屋で魔術師でもあります。アレスも同じくゼウスとヘラの息子で、軍神です。ディオニソスはゼウスの息子で、酒、植物、豊饒、演劇の神です。
太陽神として知られるアポロンはゼウスの息子で、光、予言、詩、音楽の神です。疫病をもたらし、かつ癒す神でもあります。ヘルメスはゼウスの息子で、雄弁家、商人、盗賊の神です。神々の使者で、死者の霊魂を導きます。アテナはゼウスの娘で、芸術、技術、平和、戦の神です。一般には手工芸品と家政学の神として知られています。アルテミスはゼウスの娘で、野性味あふれる狩猟の女神です。子どもの守護神でもあります。デメテルはゼウスの姉妹で、農業と豊作の女神。生命の再生を司ります。
そして最後に、アフロディーテ。愛と美と微笑みの女神です。サンレーグループの衣装店のシンボルでもありますね。以上が、オリュンポス十二神のオールスターキャストです。
●古代ギリシャから古代ローマへ
古代ギリシャ人はヨーロッパの中でもとりわけ素晴らしい神話を創造しました。そして、神々や英雄や人間や動物についての驚くばかりの物語を指すときに現在用いられている「神話(ミス)」という呼び名を生み出したのも、古代ギリシャ人です。
ギリシャ神話はまことに驚異とドラマに満ちており、その影響力は現代人の心の奥底の無意識にまで及んでいます。父を殺害し母と結婚したオイディプスの物語。雄牛の頭をした半獣半人の怪物ミノタウロスを倒したアテナイの英雄テセウスの物語。金羊毛皮を奪うために、黒海を渡ってはるか彼方のコルキスまで赴いた偉大な航海者イアソンの物語。トロイア戦争に遠征したギリシャ軍の悲運の総大将アガメムノンの物語。ギリシャ軍屈指の勇士であり、トロイア攻略の手だてとして木馬を考案した策士オデュッセウスの物語。陶酔したディオニュソスの信者たちの犠牲になったばかりか、信者の中には実の母親までもいたという、あわれなペンテウスの物語。比類なき戦士アキレウスの物語。ゼウスの息子であり、ただひとり不死を与えられた英雄でもあるヘラクレスの難業の物語などなど、その他多くの物語に現代人たちも魅了されます。神話は架空の物語ではあっても、明らかに真実を描き出しているからです。
古代ローマ人もやはり、ギリシャ神話の多彩さと力強さに感銘を受けました。それどころか、ギリシャ神話をそっくり借用して、自分たちのイタリアの神をギリシャの神と同一視することが多かったうえ、ローマ側に相当する神がなくてもギリシャの神を取り入れたことまでありました。ギリシャ神話とローマ神話の融合は進み、紀元前2世紀にはそのプロセスが完了したと言われています。
現在、一時に比べればブームにやや翳りが見えてきたとはいえ、ヨーロッパ風の結婚式を売り物にするハウスウェディングがまだまだ隆盛を誇っています。そこで打ち出しているのはイギリス、フランス、イタリアなどですが、それらヨーロッパ諸国の源流はいずれも古代ローマです。そして、そのローマの文化とは「神話の継承」に象徴されるように古代ギリシャから受け継いだものです。いわば、ギリシャ→ローマ→ヨーロッパ諸国と、文化は下ってきたわけです。ハウスウエディングによってヨーロッパの香りをかいだ日本の若者たちが、さらなる本物志向にめざめて、ローマ、そしてギリシャへと関心が向かうことは大いにありうることでしょう。
●人類最古のシュメール文明
古代ギリシャよりさらに古い文化をたどると、古代エジプトが思い浮かびます。しかし最近では、エジプトに文明を誕生させたのはシュメールから受けた刺激のためだとされています。
紀元前3000年頃、現在のイラク南東部の、ティグリス・ユーフラテス両河の下流の谷に、農業従事者以外の少数の人々を十分に養える農業力を持った社会が出現しました。この少数の人々は発明、計画、管理したりすることに時間を自由に使いました。こうして文明社会の芸術、学問、制度などが創り出されました。
「これは人間の世界における大きな革命である。社会的、文化的に観て新石器時代に起こった革命に比べられるほど重大だった」と、20世紀最高の歴史学者といわれたアーノルド・トインビーは述べています。
シュメール人たちは人間世界のそれまでの状態と比べると、強く印象に残る統一の仕事をしました。かつてこれほど多くの人間が同一の言語、文字、技術、経済、宗教、倫理、および社会構造を共有したことはありませんでした。そして、いろいろな要素からなっているこの文明は、その3000年に及ぶ歴史の流れのうちに、その発祥地の範囲を越えて地理的に拡がって行ったのです。かのピラミッドを築いた偉大なエジプト文明も、ギリシャ文明も、このシュメールの影響を受けて誕生したというのが現在の定説です。
そして、日本にさえもシュメールの影響が及んだのではないかという説さえあります。天皇のことを古代では「すめらみこと」と呼びましたが、この「すめら」は「すめる(統める)」の意であり、「シュメール」から転じた可能性があるというのです。その他にも、スサノオノミコトの「スサ」がシュメールの古代都市スーサに由来するなど、日本=シュメール起源説を主張する人々は多くの証拠を示しています。
●多神教ガーデンの完成
ギリシャ文明もエジプト文明も多くの神々をいただく多神教の基に成立していました。もちろん日本には八百万の神々がいました。そして、それらの文明の源流とされるシュメール文明も多神教でした。自然界を象徴するあらゆる神々が人間たちを見守り、さまざまな儀式が行なわれていました。そのシュメールの多神教に基づく儀式文化の名残りとして「ペトログラフ」が世界的に注目されています。古代シュメールの岩刻文字のことですが、1987年11月初め、松柏園ホテルの庭園内の巨石に奇妙な文様が刻まれていることがわかりました。「彦島ペトログラフを守る会」によって調査を行なったところ、なんと古代シュメール王国のウルフ神殿で見つかった円筒印章の「七枝樹」とまったく同じであることが判明し、大変な話題となったのです。しかも、七枝樹は結婚の儀式において使われたシンボルだったこともわかりました。
古代ギリシャ神殿をいただくヴィラ・ルーチェの庭園内にいずれこのペトログラフが刻まれた巨石も設置する予定です。さらには頭上にそびえる神社「太陽の神殿」とギリシャ神殿を階段でつないでみたい。まさにギリシャ神話と古事記の世界を結ぶ「聖なる導線」です。ここにシュメール、ギリシャ、ローマ、そして日本の多神教モニュメントからなる世界初の多神教のテーマガーデンが完成するのです。
●多神教の平和的側面
私は常々、「結婚とは最高の平和である」と言っています。人と人とがいがみ合う、それが発展すれば喧嘩になり、さらには9・11同時多発テロのような悲劇を引き起こし、最終的には戦争へと至ってしまいます。逆に、人と人とが認め合い愛し合う結婚とは究極の平和なのです。
9・11同時多発テロの原因は複雑で、さまざまな要因が絡まっていますが、一つには、ユダヤ・キリスト教とイスラム教の対立という側面があります。そして、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はその源を一つとしながらも異なる形で発展しましたが、いずれも他の宗教を認めない一神教です。宗教的寛容性というものがないから対立し、戦争になってしまう。それぞれが崇める神であるエホバ、ヤハヴェ、アラーの神以外は信じてはならない。右手に剣、左手に『聖書』や『コーラン』を持って異端者は殺すべしである。その場合は、神の許し給う殺人であるから、感動こそあっても罪の意識は感じないですむ。
これに対して日本の神道をはじめとする多神教の良さは、他の宗教を認め、共存していけるところにあります。自分だけを絶対視しない。自己を絶対的中心とはしない。根本的に開かれていて寛容である。他者に対する畏敬の念を持っている。唯一絶対神がいないから宗教戦争など考えられない。
多神教のこういった平和的側面は、そのまま結婚生活に必要なものではないでしょうか。『旧約聖書』に出てくる神は厳格そのものですが、結婚生活においてはあまり厳格に臨むと必ず破綻します。『ギリシャ神話』や『古事記』に登場する神々は、酒に酔っ払いもすれば、好色で浮気もする...。こういった大らかな神々に見守られて結婚した方が長続きするのではないでしょうか。結婚という人間界最高の平和と多神教とは基本的に相性がいいのです。
●破壊的な一神教の神
一神教の神は、「我は神なり、汝は人なり」と一方的に決め付けて、下僕である人間を徹底的に監視し、束縛します。『旧約聖書』を読むたびに思うのは、エホバの神とはまるで暴力団の親分みたいだということです。何かあると大洪水を起こしたり、バベルの塔を破壊したりと、すぐ暴力行為に訴えて、恐怖によって人間を屈従させている。この理論をそのまま結婚生活に持ち込めば、結婚生活とは自由なき監禁生活と同様になることは目に見えています。そこには人間界最高の平和の影も形もありません。
一神教的な「敵か味方」という考え方は現在のコンピュータの基礎になっている二進法にも通じます。必ず白黒つけるデジタル的世界ですね。しかし、結婚生活というものはファジーでアナログなものであり、ことあるごとに白黒つけていたら立ち行かなくなること目に見えています。ファジーでアナログな世界とは、多神教世界そのものです。一神教は「あれか、これか」ですが、多神教は「あれも、これも」なのです。
●魂を癒す多神教の神々
サンレーが世界で初めて創り出した多神教ガーデンは、単なるポスト・ハウスウェディングを狙うブライダルビジネスの仕掛けではありません。そこには世の人々に多神教の平和な心を知ってほしい、それによって世界が平和になってほしいという切なる願いが込められています。
まず、多神教の神々にふれると人間の魂は奥底から癒され、優しい心になれます。そう主張したのは、ユング派「元型心理学」の創始者として知られるアメリカの心理学者ジェームズ・ヒルマンでした。ヒルマンの提唱する心理学は「魂の心理学」と呼ばれますが、彼は人間の魂は多くの機能を持っており、それぞれが必要とする神々がいるのだとしました。人間性とは複数の心的人物の合成物であり、彼らが神話における神々たちを反映しているというのです。「元型とは神々のことである」とさえ言っています。
オリュンポス十二神に代表される多神教の神々は、それぞれの魂の元型が求める役割を演じてくれるのです。ヒルマンは、人間の魂はもともと一神教には馴染まないとし、「魂の自然的多神教」という言葉さえ使っています。みなさんも、十二神像の前に立つと、魂が癒され、心が落ち着くことと思われます。
●自然に対する考え方の違い
さて、一神教と多神教の違いを考えるうえで、おそらく自然に対する考え方が、欧米人と日本人では相反していることが重要な点であると私は思います。欧米人は厳しい環境に囲まれているので、自然を対立するもの、征服する対象と見ますが、日本人は自然を生きる恵みを与えてくれるものとして感謝し尊敬し、これと調和して暮らしてきました。
そのため宗教にしても、彼らは排他的で独裁的な征服の思想を持つキリスト教やイスラム教のような一神教になります。
対する日本は、自然に逆らわず自然の中に神を見て畏敬の念を抱き、自然と一体になろうとする寛容な思想の神ながらの道、多神教の神道になります。
自然に対して西洋では高い姿勢、傲慢な態度で立ち向かうのに、日本では低い姿勢、謙虚な態度で受け入れる。彼らは、たとえば石を見ればすぐ彫刻したり、規格統一して並べたりして人間の偉大さを誇ります。日本では、石を河原から拾ってきたままの姿で庭に置き、重く安定した姿の石庭を楽しみます。
また、彼らは水を見れば引力に逆らって噴水をあげたがるが、日本庭園では、水は上から下へと泉水や滝を造って、自然のあるがままの姿を楽しみます。日本庭園は大自然を縮小してそのまま移したものですが、西洋では人工的な直線や円を描いて幾何学的な庭園を造る。このように日本が「自然に従う文化」なら、西洋は「自然に逆らう文化」と言えるかもしれません。
パレスチナやアラビアの苛酷な自然風土の中では、自然に対決し、自然を征服しようとする絶対神を必要として一神教を生む。これに対して自然の温和な日本では、自然順応、調和、共生の多神教が生まれる。一神教が排他独善の不寛容な神、妬みの神になるのに対して、多神教は誰をも受け容れる、きわめて寛容な慈愛の神々となるのです。
●戦争エンジンとしての一神教
史上、ヨーロッパ世界を混乱させ、人々を不幸に陥れた戦争は、すべて宗教に由来すると言えます。十字軍戦争がその代表ですが、いつ果てるとも知らぬ世界最長の100年戦争も30年戦争も、7年戦争も、旧教と新教の紛争のユグノー戦争も、みな宗教戦争です。その後も十字軍以来の敵であるイスラム教国を相手取り、数回にわたる中東戦争、湾岸戦争、今回のイラク戦争と「戦争エンジン」としての一神教の暴走はとどまるところを知りません。
ヨーロッパの大衆は戦争の犠牲を受け続けただけではありません。「異端審問」や「魔女狩り」などでいかに多くの人々が宗教の名において悲惨な目に遭わされたことか。また、ナチスによるユダヤ人の虐殺は二十世紀の愚行として歴史に名を残しますが、これも遡れば十字軍によるユダヤ人殺しに行き着きます。バチカンがナチスを容認していたことは、よく知られています。ユダヤ人が全滅すれば、キリスト教の敵であるユダヤ教が消滅するからです。さらには、広島・長崎への原爆投下の根底にも、かつてコルテスやピサロが南米大陸を血に染めた殺戮行為と同じ「神は異教徒の殺戮を許し給う」という十字軍的精神、一神教的思想があったことは明白です。
人間を幸せにするはずの宗教が、逆に人間を不幸に貶めたという意味で、世界史における一神教としてのキリスト教の大罪を人類は絶対に忘れてはなりません。
私は、はっきり言って、2000年を超えるキリスト教の歴史の中で、真に人間の幸福のみを考えた宗教家は、宗祖であるイエス・キリスト、アッシジの聖フランチェスコ、そしてマザー・テレサの三人だけだとさえ思っています。
●結婚式は平和な多神教で!
現代の日本では、ホテルや結婚式場やハウスウェディング施設などのチャペルで、多くの新郎新婦たちが永遠の愛を誓っています。その割合は上昇する一方です。このような好戦的な本質を持つキリスト教の神に結婚の誓いをするというのは、どうも違和感がある。冠婚葬祭会社の社長として、こんなことを言うのは掟破りかもしれませんが、やはりおかしいものは、おかしい。
いっそのこと、キリスト教は結婚式から手を引くべきかもしれません。その代わり、キリスト教はもっと大々的に葬儀を司った方がよいと思う。死を「帰天」「昇天」としてポジティブにとらえるキリスト教の思想こそ、人が死んだら「不幸があった」とする日本の葬儀にもっとも求められるものではないでしょうか。
日本人はもともと多神教が体質に合う民族です。ぜひ、人間界の最高の平和たる結婚式は多神教の神々が見守る中でやっていただきたい。本当は、神道に基づく神前結婚式が一番ふさわしいのでしょうが、これだけ嗜好がヨーロッパ化した若者にいきなりそれを求めるのは難しい部分がありますので、まずはヨーロッパの原点にして、かつ多神教であるギリシャ神殿での結婚式をプロデュースする次第です。
一神教にしろ多神教にしろ、宗教臭いのは苦手だ、神とは無縁に結婚したいという方がいれば、ぜひ、古代ローマ庭園での人前式をおすすめします。もともと、神を必要としない人前式は古代ローマに発祥した儀式でした。まだキリスト教が入ってこない当時のローマの離婚率は人類史上最低の数字と言われています。つまり、ローマ式の結婚式をした人々は、離婚しなかったのです!
以上見てきたようにサンレーが企む「多神教プロジェクト」とは、「日本における離婚の減少」と「世界における戦争の根絶」の二大テーマを掲げた、この上なく高い志に支えられたものなのです。
酒を飲み浮気もしたる神々は
人の夫婦をやさしく護り 庸軒