2006
02
株式会社サンレー
代表取締役社長
佐久間 庸和
「すごいぞ! ドラッカー
マネジメントは、人が主役だ!」
●大学での講義
当然のことながら、北九大の経済学部の学生でドラッカーの名を知らない者はおらず、私の講義は「ドラッカーとは何者か」そして「当社はどのようにドラッカー理論を取り入れたか」を中心に進めました。
300人を超す学生さんたちは、最初は無表情に私の話を聞いていましたが、だんだん身を乗り出してきて、目が輝いてきました。まるでロックミュージシャンのトークでも聴いているかのように興味津々で私の話に耳を傾け、一時間半の講義が終わると、盛大な拍手を寄せてくれました。自分でもとまどうほどの拍手に対して何度も礼を繰り返しながら、私は思いました。「やっぱり、ドラッカー理論は面白いんだ。若い人たちのハートにもヒットするんだ。ドラッカー先生、あなたはすごいよ!」
●ドラッカー・チルドレン
昨年11月11日に、世界最高の経営学者として知られたピーター・ドラッカー氏が逝去しました。そのわずか2日前には世界初の「ドラッカー学会」の設立準備会が東京で開催され、私もその設立推進メンバーとして参加した矢先の出来事でした。準備会にはドラッカー本人からの祝福のメッセージが寄せられていたこともあり、突然の訃報に接し、非常に驚いたことは言うまでもありません。
「マネジメントの父」とも呼ばれたドラッカーこそは、世界最高の経営思想家でした。経営学そのものの創始者でもあります。ウィーン生まれですが、ナチスを嫌ってアメリカに移住し、最近までカリフォルニア州クレアモント大学の大学院で教授を務めていました。
世界のビジネス界に最も影響力を持つ思想家であり、東西冷戦の終結、転換期の到来、社会の高齢化をいち早く知らせるとともに、「マネジメント」という考え方そのものを発明しました。また、偉大な経済学者ヨーゼフ・シュンペーターの流れを受け、「イノベーション」の重要性を強調するとともに、マネジメントに関わる「分権化」「目標管理」「経営戦略」「民営化」「顧客第一」「情報化」「知識労働者」「ABC会計」「ベンチマーキング」「コア・コンピタンス」、そして「選択と集中」などの理念の生みの親で、それらのコンセプトを自ら発展させてきました。
「民営化」はイギリスのサッチャー政権が全面的に採択し、世界最大の大企業の一つであるGEのCEO(最高経営責任者)に就任したジャック・ウェルチが「選択と集中」を取り入れて大成功、一躍カリスマ経営者となったことはよく知られています。
ウェルチがGEのCEOになって最初に行なったことは、クレアモントのドラッカーを訪問し、経営戦略のアドバイスを受けることでした。ウェルチのみならず、世界にはドラッカーを信奉する経営者が数多く存在します。日本でも、ソニーの故盛田昭夫氏、出井伸之氏、イトーヨーカドーの伊藤雅俊氏、富士ゼロックスの小林陽太郎氏、ファーストリテイリング(ユニクロ)の柳井正氏など、多数の経営者がドラッカーに共感し、こうした方々は「ドラッカリアン」と呼ばれています。
私は若輩で経営者としての経験も浅く、ドラッカリアンというにはおこがましいので、これまで「ドラッカー・チルドレン」と自称してきました。4年ちょっと前に社長に就任して以来、ドラッカーの経営理論を愚直なまでにそのまま導入して会社の経営にあたってきたのです。
●マルクスとドラッカー
私は、経営学などというジャンルを超え、ドラッカーは知の巨人だと思います。19世紀を代表する思想家がマルクスなら、20世紀最大の思想家こそドラッカーであると信じています。もともと私は、19世紀の「知」はダーウィンとニーチェとマルクスに代表され、20世紀のそれはアインシュタインとハイデガーとドラッカーに代表されると思っていました。
でも、マルクスとドラッカーは他の人々のように世界を解釈するだけでなく、世界を変革してきました。ただし、ともにフィルターの存在を通してでした。すなわち、マルクスは、レーニンをはじめとした世界中の革命家を通じて。そしてドラッカーは、ウェルチをはじめとした世界中の経営者を通じてです。
しかし、マルクスの思想は経営者と労働者の対立を生み、世界に憎悪をもたらす性悪説でした。一方、ドラッカーのそれは経営者と労働者の協調を生み、世界に友愛をもたらす性善説でした。ドラッカーの経営思想のおかげで、どれだけの労使紛争が回避されたか計り知れず、ドラッカーこそノーベル平和賞を受けるに値する人物だったと断言します。
ドラッカーの考えるマネジメントとは、何よりも人間に関わるものでした。その機能は、人が共同して成果をあげることを可能とし、強みを発揮させ、弱みを無意味なものにすることでした。これが組織の目的なのです。
また、マネジメントとは、ニーズと機会の変化に応じて、組織とそこに働く者を成長させるべきものです。組織はすべて学習と教育の機関です。あらゆる階層において、自己啓発と訓練と啓発の仕組みを確立しなければなりません。
●ドラッカーへのアンサーブック
このようにドラッカーのマネジメント思想は「人が主役」という人間尊重の経営思想でした。さらに、彼は社会生態学者でもありました。私は、数多く翻訳出版されているドラッカーの著書はもちろん全部読みましたが、なかでも遺作となった『ネクスト・ソサエティ』のインパクトは、21世紀の社会像について漠然と考えていた私には、きわめて大きなものでした。私は同書をドラッカーから私個人への問題集であると勝手にとらえ、「あなたなら、ネクスト・ソサエティとはどのような社会であると考えるか」という質問に対する提出レポートとしてのアンサーブックを書きたいと思い至りました。そうして昨年の9月に上梓したのが、拙著『ハートフル・ソサエティ』です。
幸い、高名な経営者や学者をはじめ多くの方々に高い評価をいただきました。ドラッカーの著書のほとんどを翻訳し、日本におけるドラッカーの分身である上田淳生先生(ものづくり大学名誉教授)の目にとまり、なんと世界初の「ドラッカー学会」の設立推進メンバーに選んでいただくという栄誉にも浴しました。
●ドラッカー学会の設立メンバーに
ドラッカー学会は、学者、経営コンサルタント、経済系の新聞社や出版社の代表者が集まり、ドラッカーの偉大な業績などを研究する学会です。
11月9日に東京の目黒で開催された第一回の発足準備会合には私も参加し、自己紹介を含めたスピーチをさせていただいて、ドラッカーに対する熱い想いを述べました。ドラッカー本人からも学会の発足を祝うメッセージが寄せられ、クレアモントを訪れて本人に面会するプランも出ました。学会の代表世話人である上田淳生先生の「ドラッカーにノーベル賞を!」の一言には歓声があがりました。後は10日後の19日に控えたドラッカー96歳の誕生日に正式発足するのを待つばかりの矢先の訃報でした。
突然の訃報に経済界からは惜しむ声が多くあがっていると新聞などで報じられていますが、私には深い感慨はあるけれども、悲しくはありません。直接ドラッカーに会って、教えを受ける夢がかなわなかったことは残念ではありますが、私の死生観および宇宙観からいって死とは帰天に他ならないからです。
かつ、彼はこの地上に置き土産として幾多の著書を残していってくれました。だから、寂しくもありません。ただ、学会の発足準備会合から正式発足まで10日間しかなかったのに、そのわずかな間に彼が旅立って行ったことの不思議さと、残された私たちの役割について深く考えさせられました。
●人間主役の企業経営を提唱
上田先生は、多くの経営者を引きつけたドラッカーの魅力について、「一貫して産業社会で人はどうすれば幸せになれるかを追求してきた視点だ」と「読売新聞」で述べておられます。私も、まったく同感です。利益優先でなく、「ステークホルダー」と呼ばれる従業員などを含めた利害関係者の幸せを重視する考えが、日本の経営者にも大きな影響を与えたのは間違いありません。ドラッカーは、日本でも急速に広がってきたM&A(合併・買収)や株式売買による利益追求を厳しく批判し、最後まで「人が主役」の企業経営を説き続けました。
ライブドアや村上ファンドなどの魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)し、最近、いわゆるコーポレートガバナンスの問題が大きく取り上げられています。つまり「会社は誰のものか」という問いは、会社のコンセプトに関わる問題であり、原理原則に関わる問題であるとの論があります。会社は「シェアホルダー」と呼ばれる株主のためのものであるとの考えに立つ人にこの論者が多いようです。
これに対し、会社は誰のものかは、社会における会社の位置づけに関わる問題、つまりその国その国によって異なる文化の問題であるとの論があります。会社はステークホルダーのためのものであるとの考えに立つ人にこの論者が多いようです。
ところがドラッカーは、会社の経営はマネジメントを任せてもらいたいというときにステークホルダー論が幅を利かし、いやそうはいかない、それではまともな経営はできないというときにシェアホルダー論が優勢になったと冷静に観察します。
そして、「会社は誰のものか」との問いに対するドラッカーの答えは、いたって簡単です。すなわち、社会のものだという。したがって、社会の中に存在する社会のための機関として、富の増殖機能を伸ばしていくことがマネジメントの責任だというのです。具体的には、マーケティング、イノベーション、生産性、人・モノ・カネの活用、社会的責任の遂行です。だから、これらについて目標を定めよというのです。最新の経営手法であるバランスト・スコアカードのルーツもここにあります。実にドラッカーが50年も前に言っていることなのです。
●会社は誰のものか?
私の特別講義では、「会社は誰のものだと思うか?」と学生さんたちに質問を投げかけた後、「会社は株主のものでも、経営者のものでも、労働者のものでもない。会社は社会のものです!」と述べましたが、講義の感想文などを後で読むと、この言葉は彼らの心に強く響いたようです。
ドラッカーは30冊におよぶ著書で繰り返し訴えました。マネジメントとは、企業をはじめとする個々の組織の使命にとどまることなく、一人ひとりの人間、コミュニティ、社会に関わるものであり、位置づけ、役割、秩序に関わるものであると。まさにここにドラッカーの特色があると言えるでしょう。
ドラッカーと並んでよく名前があがる経営学者に『エクセレント・カンパニー』のトム・ピータースや『競争戦略論』のマイケル・ポーターがいますが、二人はいずれも、企業をもっぱら財とサービスを生むための機関として見ています。もちろんその通りです。
しかしドラッカーの場合は、社会への関心の原点が、第一次世界大戦時における西欧社会および西欧文明の崩壊にあったためだと思いますが、企業とそのマネジメントを経済的な存在としてだけでなく、社会的な存在として、さらに進んで理念的な存在ととらえてきました。
確かに企業の目的は、顧客を創造し、富を創造し、雇用を創出することにあります。しかし、それらのことができるのは、企業自体がコミュニティとなり、そこに働く一人ひとりの人間に働きがいと位置づけと役割を経済的存在であることを超えて、社会的存在となりえたときだけです。
●すごいぞ! 家庭環境
私はドラッカーお生涯について調べた結果、あらためて痛感しましたが、本当にドラッカーはすごい。
まず、少年時代の環境がすごい。彼の父親はハプスブルグ帝国の外国貿易省長官であり、かつ名門ウィーン大学の経済学部教授で、偉大な経済学者ヨーゼフ・シュンペーターの恩師でした。母親は精神分析の父であるジークムンド・フロイトの愛弟子でした。彼の講義では唯一の女性聴講生で、有名なセックスの問題を話す際にフロイトは困惑した表情を見せていたそうです。
ドラッカーの両親は長年、週に数回の割合でホームパーティーを開きました。毎週月曜日は父の主催で「政治の夜」が開かれ、政治家や学者、銀行家が集まりました。水曜日は母主催の「医学・精神分析の夜」。金曜日は特に制限なしのパーティーでした。常連客の中には、シュンペーターやフリードリッヒ・フォン・ハイエクら超一流の経済学者の他、戦後に初代チェコスロバキア大統領になり、「建国の父」と言われたトマーシュ・マサリクもいました。また、他人の家のパーティーにも出かけ、『魔の山』で知られるノーベル文学賞作家トーマス・マンと文学談義をしたりしています。
毎年クリスマスと正月になると、ウィーンの大女優マリア・ミューラーがドラッカー家を訪ね、ゲーテやシラーなどの名場面をそらで朗読してくれたそうです。ドラッカーが知る限り最高の美声だったそうです。政治・経済はもちろん、哲学や芸術にまで造詣の深い「知の巨人」ドラッカーは、このような度外れて恵まれた環境の中で育ったのです。
長じて社会に出てからも、すごかった。愛読していた経済週刊誌「オーストリア・エコノミスト」の副編集長だったカール・ポラニーとの交際を皮切りに、天才の家系と言われるほど逸材ぞろいのポラニー一族と深い親交を得ました。
カールは名著『大転換』によって経済人類学の創始者になり、弟のマイケルは、ノーベル化学賞か物理学賞の受賞は確実と言われていたのに、哲学者へと転向し、そこでも成功。マイケルの息子ジョンは1986年にノーベル化学賞を受賞しています。ドラッカーは、こんなすごい一族と対等に渡り合ってきたのです。
●すごいぞ! ヒトラーの危険性を見抜く
さらにすごいのは、新聞社フランクフルター・ゲネラル・アンツァィガーの副編集長に22歳で就任し、なんと台頭著しいナチスの党首アドルフ・ヒトラーや右腕のヨーゼフ・ゲッベルスに直接インタビューをしているのです。それも、一度ならず何度もです。ドラッカーは、ヒトラーについては次のように語ります。
「ヒトラーはオーストリアの田舎出身で成り上がり者。まともな教育を受けた者なら決して使わないような汚いドイツ語を使う。だから右翼政党のリーダーたちは誰もが真剣に取り合わず、万が一の場合は簡単に牛耳れると思い込んでいた。私の警告に真剣に耳を傾けてくれる人はほとんどいなかった」
ドラッカーはマスコミの責任も感じており、「マスコミは真剣にヒトラーを取り扱わなかった。もしヒトラーの危険性を認識し、キャンペーンを展開していたら、ナチスの政権掌握は阻止できたかもしれない」と話しています。そして、ファシズムから自由を守るという明確な目的のもとに書いた処女作『経済人の終わり』は、後のイギリス首相ウィンストン・チャーチルに絶賛されます。
その他も、雑誌王ヘンリー・ルースに学んだり、IBMの創業者トーマス・ワトソンと記事の件でやり合ったり、ゼネラルモータース(GM)に誘われて伝説の書『会社という概念』を書いたり、日本が真珠湾を攻撃して太平洋戦争がはじまると陸軍省のコンサルタントになったり、統計学に詳しかったエドワード・デミングを品質管理(QC)の世界に導いてやったり、とにかく八面六臂(はちめんろっぴ)の大活躍とはこのこと。まさにドラッカーこそは、20世紀という「時代の生き証人」なのです!
●すごいぞ! 従業員は資産という発想
でも何より、「すごいぞ!ドラッカー」と私が思うのは、あらゆる経済学者や経営学者たちが従業員を「コスト」としてしか見なかったのに、ドラッカーだけは「資産」として初めて見たことです。これははっきり言って、とんでもない大発見というか発想の転換です。
結局、ドラッカーのすごさは、世界に「意味」という魔法を与えて、人類社会を良い方向に導く考え方を示してくれたことです。『断絶の時代』『ポスト資本主義社会』そして『ネクスト・ソサエティ』を読んでもわかるように、人類社会のかなり先の先まで見通していたドラッカーは、ゲーテの『ファウスト』に出てくる物見の役になぞらえていました。
かつて、イギリスの政治思想家ジョン・ロックは「17世紀に身を置きながら、18世紀に影響を与えた人物」と評されましたが、ドラッカーは「20世紀に身を置きながら、21世紀に影響を与える人物」であると言えるでしょう。彼は20世紀最高の思想家であり、かつ21世紀の人類社会の見取り図を示してくれました。
世間でもよく知られてきたように、かつて赤字にあえいでいた当社は、「選択と集中」「知識化」「イノベーション」をはじめとする数々のドラッカー理論導入により、経営内容が格段に改善しました。製造業を中心としたマネジメントが主流の中で、サービス業それも冠婚葬祭業という超ソフトな産業においてドラッカー理論がこれほど的確に応用できたのは奇跡に近いと自分でも思います。しかし、その一方で、「人が主役」というドラッカー思想と「人間尊重」という当社のミッションが根底で合い通じていたため当然だという思いもあります。
●若輩者を救ってくれたドラッカー
2001年10月に社長に就任したとき、私はまだ38歳の若輩でした。1,000人を超える社員を抱え、さまざまな経営的課題を抱えたままの船出に心は不安で一杯でした。何しろ、私の判断ミス一つで、社員およびその家族を含め数千人の人々が路頭に迷うわけですから、ストレスで眠れない夜もありました。
そんな夜にふと読みはじめたのが、経営のバイブルとされていたドラッカーの著書だったのです。目から鱗が落ちたような気持ちになり、「マネジメントという営みは、なんと面白いんだろう!」と心の底から感じました。それから一ヶ月以内に30冊におよぶ彼の著書は全部読破しましたが、それによって当社を良くするヒントが毎日のように思い浮かびました。私はそれを片っ端から実行に移し、おかげさまで業績は見違えるように良くなったわけです。本当に、ドラッカー先生にはいくら感謝してもし足りません。
ドラッカーの本は、経営者としての基本をビシッと教えてくれます。真の経営者をめざす者の背骨をまっすぐに矯正してくれます。それは、人間としての基本をビシッと教えてくれる『論語』にも通じるものです。そう、孔子とドラッカーはよく似ています。両者の間には2000年を超える時間が流れていますが、孔子は人類史上最高の「人間通」、ドラッカーは「経営通」だと私は思っています。両者には共通点が多くありますが、4月刊行予定(当時)の『孔子とドラッカー〜ハートフル・マネジメント』に詳しく書きました。興味のある方は、ぜひそちらをお読み下さい。私は、ドラッカー・チルドレンとして、ドラッカー思想を今後も多くの人々に説き続けてゆく所存です。
●ドラッカーへの感謝状
『孔子とドラッカー』では、渋澤栄一、松下幸之助、中村天風、安岡正篤などの思想も取り入れながら、ドラッカーの人間重視の経営思想を全面的に紹介します。また、北九州市立大学に次いで、さまざまな場で特別講義も行ないたいと思っています。
もちろん、私は現役の経営者ですので、会社の業績によってドラッカー理論の正しさを証明することが最大の恩返しであると思っています。ドラッカーの唱える「知識化」を「すべての産業は知識化しうる」と私流に解釈し、当社ではことあるごとに「知識」の大切さを社員に訴え続けてきました。そのおかげで、ISO9001も業界で最初に取得しましたし、昨年秋には国家資格である一級葬祭ディレクター試験の合格者数も日本一となることができました。
典型的な労働集約型産業であると考えられていた冠婚葬祭業を知識集約型産業へと発展させ、さらには「思いやり」「感謝」「感動」「癒し」といったポジティブな心の働きが集まった精神集約型産業へと高めてゆくことが私の夢です。
そして、産業社会および高齢化社会の中で多くの方々に「老いる覚悟」と「死ぬ覚悟」を持っていただき、心ゆたかに生きていただきたい。微力ながら少しでもそのお役に立ちたい。それが、私の志です。それは、ドラッカーの考えた「人の幸せ」とも直結し、彼の視線とそのベクトルは同じであると確信します。
「選択と集中」によって筋肉質の利益体質となり、ひたすら「知識化」を進め、サンレーグランドホテルやヴィラ・ルーチェをはじめとした数々の「イノベーション」の風を巻き起こしてきた当社は、今まさに「人間尊重」の旗を掲げ、輝ける創立40周年へと突き進んでいます。そこから新しいマネジメントの地平を開いてみたいと心から思います。
昨年11月19日、ドラッカー学会は無事に発足しました。発足と同時にアップされた「公式サイト」および「学会誌」には、私が書いた「あなたは輝ける人類の宝〜敬愛するドラッカー教授へ」という感謝状が掲載されております。
何よりもマネジメントの真髄は
人が主役とドラの威を借り 庸軒
ドラッカー慕ふ我こそ新しき
マネジメントの地平開かん 庸軒
巨星墜つ まぶしき光身に受けて
われ月となり 世に反射せん 庸軒