2005
08
株式会社サンレー

 代表取締役社長

  佐久間 庸和

「心の社会とは何か?

 これがハートフル・ソサエティだ!」

第四の社会の到来

  いま、私たちの社会は「心の社会」に向かっています。「心の社会」とは、あらゆる人々が幸福になろうとし、感動、癒し、共感、感謝、思いやり、といったものが何よりも価値をもつ社会のことです。
 人類はこれまで、農業化、工業化、情報化という三度の大きな社会変革を経験してきました。それらの変革はそれぞれ、農業革命、産業革命、情報革命と呼ばれます。第三の情報革命とは、情報処理と情報通信の分野での科学技術の飛躍が引き金となったもので、変革のスピードはインターネットの登場によってさらに加速する一方です。
 私たちの直接の祖先をクロマニョン人など後期石器時代に狩猟中心の生活をしていた人類とすれば、狩猟社会は数万年という単位で農業社会に移行したことになります。そして、農業社会は数千年という単位で工業社会に転換し、さらに工業社会は数百年という単位で20世紀の中頃に情報社会へ転進したわけです。それぞれの社会革命ごとに持続する期間が一桁ずつ短縮しているわけで、すでに数十年を経過した情報社会が第四の社会革命を迎えようとしていると考えることは、きわめて自然だと言えるでしょう。
 私は、その第四の社会とは人間の「心」というものが最大の価値を持つ「心の社会」であると考えます。現在は、「心の社会」に向けて進みつつある、いわば「ハート化社会」なのではないでしょうか。

個人と社会のあり方

 社会とは何でしょうか。世界最高の経営学者にして社会生態学者でもあるピーター・ドラッカーによれば、人は生物的存在として生きるために呼吸する空気を必要とするように、社会的存在として生きるために機能する社会を必要とします。私たちは社会を定義することはできなくとも、その機能の面から社会を理解することはできます。社会は一人ひとりの人間に「位置づけ」と「役割」を与え、そこにある権力が「正統性」をもつとき、はじめて機能します。
 一人ひとりの人間が社会的な位置づけと役割を持つことは、その個人にとって重要なだけでなく、社会にとっても重要です。
 彼ら一人ひとりの目的、目標、行動、動機が社会のそれと調和しないかぎり、社会は彼らを理解することも自らの一員とすることもできません。
 個人と社会との関係のあり方は、人間の本質と目的について、その社会がどう考えるかという基本的な理念によって定まります。人間の本質は、自由な存在とも、自由ならざる存在とも見ることができますし、平等なものとも、そうでないものとも見ることができます。
 あるいは善良なもの、邪悪なるもの、完全なるもの、安全たりうるもの、完全たりえないものとすることもできるのです。
 また、人間存在の目的は、この世にあるとも、あの世にあるとも見ることができます。不滅と見ることもできるし、仏教の教えのように輪廻すると見ることもできます。あるいは戦いにあるとも、経済的な完成にあるとも、大家族にあるとも見ることができるのです。それら人間の本質についての理念が、社会としての目的を定めます。
 そして、それら人間存在の目的についての理念が、その目的を追求するべき領域を定めます。
 これら人間の本質とその存在の目的についての理念、すなわち人間観が社会の性格を定め、個人と社会の基本的な関係を定めます。

人類史上初の進化が起こっている

 古代中国において、孔子の流れをくむ孟子は人間の本性を善なるものとする「性善説」を唱え、荀子は人間の本性を悪なるものとする「性悪説」を唱えました。私は人間の本性は善でもあり悪でもあると考えます。そして来るべき「心の社会」においては、人間のもつ善も悪もそれぞれ巨大に増幅されてその姿を現わすでしょう。ブッダやイエスのごとき存在も、ヒトラーやスターリンのような存在も、さらなるスケールの大きさをもって出現してくる土壌を「心の社会」はもっているのです。
 「心の社会」は人類の進化の問題に関わっています。ラッセル・シュワイカートはアポロ九号やスカイラブ二号の船長として宇宙飛行を体験した人ですが、彼は自分たちの活動を含めて人間が宇宙へ進出していくという、その行為自体を人類史の流れの上でとらえ、これは人類史上のもっともターニング・ポイントの一つであるとみなしています。地球が一個の生命体であるという「ガイア仮説」を唱えたジェームズ・ラブロックとも大変親しく、お互いに影響を与えあったシュワイカートの基本的な考えは、人間というのは、これまでずっとガイア=地球の体内で育まれてきた胎児だという立場です。人類が宇宙へ進出するということの意味は、このガイアの体内にいた胎児がはじめて体外へ出たということなのです。人類は地球空間から宇宙空間に出産したというわけです。
 人類史以前の約35億年にわたる生物の進化の中で、約4億年前に、それまでずっと海の中にいた生物が、はじめて陸上に上がるということが起きました。人類が宇宙に出たというのは、それとほとんど同じ進化史上の大きな意味をもっているというのがシュワイカートの考えです。これは生命進化史上でも何億年に一回しか起こらないような、そういう大事件ではないか。そういう大事件を人類は体験したのではないかというのです。
 やはりシュワイカートの友人で、ケンブリッジ大学などで数学、理論物理学、心理学、コンピュータ・サイエンスなどを修めたピーター・ラッセルはさらに、生物の進化史の流れのなかで、いま、私たちがいるこの人類社会というものは、どういうところにいるのかという、そういう角度から現在をとらえました。
 彼は宇宙の歴史そのものを進化史的にとらえると、より下のレベルのものがどんどん結合して大きくなり、大きな組織をつくっていくというプロセスの繰り返しと考えます。素粒子から原子、分子、巨大分子、それから単純細胞、複雑な多細胞、そして組織、さらにヒトという、こういう流れの中にあって、この先に行こうとしているのだという発想なわけです。
 彼は人類全体を広大な神経圏ととらえます。するとそれは全地球的な脳、つまりグローバル・ブレインと言えるのではないか。そのグローバル・ブレインのなかで、個人個人は、いわば一つのニューロンのような役割を果たしているというのが、ラッセルの考えです。
 グローバル・ブレインの考えをさらに発展させると、たくさんの人間が集まって社会をつくり、その社会構造をどんどん複雑化させてきたその過程を、ちょうど、神経細胞がたくさん集まって神経回路をつくり、それがまた多数結合されて神経回路網となっていく過程に似ています。

人類はコンピュータのセンサー?

 人間社会では、人間と人間、社会組織と社会組織のあいだの情報のやりとりがどんどん進み、その情報のやりとりのために通信インフラが発展し、ネットワーク状の通信網ができていく。通信のメディアが無線、電話、コンピュータと進み、エレクトロニクスの発展とともに、通信の高速化、大容量化が進み、ネットワークがどんどん巨大化して、ついに現在のような全地球的インターネット・ネットワークにたどりつく。
 これはヒトの脳の中で、神経回路網がどんどん発達していく過程とそっくりです。いま、全地球的なコンピュータ・ネットワークは、複雑さの度合いにおいて脳にひけをとりません。
 現代ドイツを代用する哲学者のアルベルト・ノルツは、もはや人類というのは、世界規模のコンピュータ・ネットワークのセンサーであり、入力端末にすぎず、人類の思考は、コンピュータ・ネットワークのアルゴリズムを超えることはできないと言っています。
 どうやらラッセルの夢想したグローバル・ブレインは実際には誕生したようです。ガイアの脳!
 そして、脳からは心が生まれます。それは、私たちヒトの場合を見ればよくわかります。私たちの脳のなかには、ニューロンのネットワークがある。そして、一つ一つのニューロンは外界からの刺激に応じて、あるいは私たちの注意や、思考の過程に対応してそれぞれ独自のパターンで発火する。一つのニューロンの発火は、それとシナプス結合している他のニューロンに影響を及ぼす。その影響は、そのニューロンの発火パターンとして現れる。こうして、お互いにシナプス結合で結ばれたニューロンは、影響し合いながら、発火の時空間パターンをつくり上げていく。
 このように、私たちの心のなかで起こっているすべての出来事は、ニューロンの発火に支えられているのです。「心」とは、ニューロンの発火の集合であると言えるでしょう。ヒトの脳から「心」が生まれるなら、ガイアの脳からも「心」が生まれます。グローバル・ブレインがやっと誕生したいま、「グローバル・ハート」が生成されようとしているのです。
 心理学者のユングは、私たちの心は一見バラバラのようでも実は深いところでつながっていることを発見しました。彼はすべての人間の心に共通する底流があると考え、それを「集合的無意識」と名づけましたが、これは明らかにグローバル・ハートに通じます。インターネットの力は、「集合的無意識」を顕在化させることもできるのではないでしょうか。

「気」が心の社会のキーワード

 また、「気」も重要なキーワードです。もともと「気」は古代中国哲学における最大のキーワードですが、「心の社会」では、「元気」「陽気」「気くばり」「気ばたらき」といったものが何よりも求められます。その意味で、「心の社会」におけるビジネスの世界では、広い意味でのホスピタリティ・ビジネスおよびエンターテイメント・ビジネス、つまりハートビジネスが中心的な存在になっていくのです。
 フランスの文化相も務めた作家のアンドレ・マルローは「21世紀は精神性(スピリチュアリティ)の時代である」と述べましたが、これまで多くの人々が21世紀の社会について予測しました。ジョン・ガルブレイスは「ゆたかな社会」を、ダニエル・ベルは「脱工業化社会」の到来を予告しました。アルヴィン・トフラーは、起こりつつある変化を「第三の波」と呼び、社会の根本的変化の近いことを予告しました。マリリン・ファーガソンは、あらゆる分野に起こりつつある変化が結合して、社会規範を変化させる「アクエリアン革命」になろうとしていることを指摘しました。日本の堺屋太一は、知恵の値打ちが経済の成長と資本の蓄積の主要な源泉となる「知価社会」をつくり出す技術、資源環境および人口の変化と、それによって生じる人々の倫理観と美意識の急激な変化全体がもたらす「知価革命」を主張しました。
 そして、社会生態学者としてのドラッカーは21世紀のはじまりとともに「ネクスト・ソサエティ」を発表しました。ネクスト・ソサエティの特質は「知識社会」および「少子高齢化社会」の二つに集約されるといってよいでしょう。特に日本では「高齢化」が最大のテーマになっています。

心の社会は「死」を解放する

 私は『老福論』で「人は老いるほど豊かになる」と訴え、「老い」に価値を置く「好老社会」の重要性を説きました。「老い」は心の社会にとっても大問題なのです。
 そして、「老い」の先には「死」があります。日本人は人が死ぬと「不幸があった」と言いますが、私たちはみな「死」を未来として生きている存在です。どんな生き方をするにしろ、最後のゴールが「不幸」であれば、日本人の幸福などはじめからありえないことになります。
 「心の社会」において「死」を「不幸」から解放させなければならず、それにはまず、「死」から逃げずに正面から向き合う姿勢が求められるのです。
 その意味で、「心の社会」では哲学・芸術・宗教の存在が大きくなります。なぜなら、哲学も芸術も宗教も、「死」をとらえて精神を純化させる営みに他ならないからです。
 「死」の問題を突き詰めて考えた哲学者にキルケゴールがいます。1849年に彼が書いた『死に至る病』は、後にくる実在哲学への道を開いた歴史的著作ですが、ちょうど百年後の1949年にある人物がこれについてのすぐれた論文を書きました。その人物とは、なんとドラッカーであり、論文とは「もう一人のキルケゴール−人間の実在はいかにして可能か」です。ドラッカーは、人間の社会にとって最大の問題とは「死」であるとはっきり述べています。そして、思考の極限まで究めたこの驚くべき論文の最後に、こう記しています。
 「キルケゴールの信仰もまた、人に死ぬ覚悟を与える。だがそれは同時に、生きる覚悟を与える。」(上田惇生訳)
 「心の社会」は、「死」を見つめる社会であり、人々に「死ぬ覚悟」と「生きる覚悟」を与える社会です。それは「死」という人類最大の不安から人々が解放され、真の意味で心がゆたかになれる、大いなる「ハートフル・ソサエティ」なのです。

 身はたとひ 地球(ガイア)の土に還るとも
        月に留めん 心の社会     庸軒