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一条真也
「仏教文化交流シンポジウム」

 

こんにちは、一条真也です。 9月21日、「仏教文化交流シンポジウム」が開催されました。場所は、北九州市の門司港レトロ地区にある「旧大連航路上屋」2Fホールです。旧大連航路上屋というのは、戦時中ここで兵隊さんたちの身体検査が行われた場所です。合格となった人々は、門司港からビルマをはじめとした南方戦線に向かったのです。そして、彼らの多くは再び祖国の地を踏むことができませんでした。

 シンポジウムでは、最初に「世界平和パゴダ」の紹介映像が流れました。その後、日緬仏教文化交流協会の佐久間進会長による主催者挨拶が行われました。それから、世界平和パゴダ住職であるウィマラ長老の基調講演が行われ、続いて「仏教が世界を救う」と題されたシンポジウムが行われ、パネル・ディスカッションが開催されました。パネリストは、以下の通りです。

 ●井上ウィマラ氏(高野山大学文学部教授)

 ●天野和公氏(「みんなの寺」坊守・作家)

 ●八坂和子氏(ボランティアグループ一期会会長)

 ●一条真也(作家・株式会社サンレー社長)

 『ミャンマーで尼になりました』の著者である天野氏が飛行機のトラブルで到着が大幅に遅れ、天野氏の参加は第2部からになりました。パネル・ディスカッションで、「世界平和パゴダ」の意義について訊かれ、わたしは以下のように答えました。

 「世界平和パゴダは、ミャンマーと日本の友好のシンボルです。そして、その可能性を語り合うことは、大きな意義のあるものと思います。わたしは、現代の日本において、いや東アジアにおいて、世界平和パゴダはとても大きな意味と可能性を持っていると思っています。それをパネリストのみなさん、この会場にお集まりのみなさんにお伝えして、ぜひ感想や意見をお聞きしたいと思うのです。

わたしは、世界平和パゴダの重要性は主に3つあると思います。

1、アジアの平和拠点であること。

2、戦没者の慰霊施設であること。

3、上座部仏教の寺院であること。

順を追って説明します。まずは、1の「アジアの平和拠点」から。

 言うまでもなく、日本は東アジアに属する国ですが、門司は東アジアの玄関口です。『海賊とよばれた男』がベストセラーにもなっていますが、主人公のモデルは、出光興産の創業者・出光佐三です。出光興産は、北九州市の門司からスタートしました。現在は内科・小児科医院となっている創業の地は、ここからすぐ近くです。『海賊とよばれる男』は、太平洋戦争で日本が敗戦する場面から始まります。大東亜共栄圏を築くという大日本帝国の野望は無惨に消滅しましたが、じつはそれ以前に出光佐三は東アジアに一大ネットワークを構築していたのです。

 現在の日本は中国や韓国といった隣国と非常に微妙な関係というか、領土問題をめぐって険悪な関係にあります。このままでは日本は東アジアの中で孤立してしまう不安があるわけですが、幸いなことに「東アジア最後のフロンティア」とミャンマーとは良好な関係にあります。

ミャンマーと日本の交流のシンボルである「世界平和パゴダ」は、そのまま東アジアの平和拠点となるのではないでしょうか。

 2の「太平洋戦争の慰霊施設」ですが、第2次世界大戦後、ビルマ政府仏教会と日本の有志によって昭和32年(1957年)に建立されました。「世界平和の祈念」と「戦没者の慰霊」が目的でした。戦争の慰霊施設というと多くの日本人は靖国神社をイメージされるのではないでしょうか。安倍内閣の閣僚が靖国参拝することについて、中国や韓国が抗議をしているようですが、自国の死者への慰霊や鎮魂の行為に対して、他国が干渉してくるなど言語道断です。わたしは、「葬礼」こそは各民族を超えた人類の精神文化の核だと確信しています。

 わたしは、世界平和パゴダは、靖国神社の代替施設となりうると考えます。しかも、A戦犯の合祀うんぬんも関係ない。現在、世界平和パゴダはビルマ戦線の戦没者の慰霊施設という位置づけですが、ぜひ拡大解釈して、すべての戦没者の慰霊施設にするべきだと思います。

 3の「上座部仏教の寺院」ということですが、世界平和パゴダの本格再開によって、ブッダの本心に近い上座部仏教は今後さまざまな影響を日本人の「こころ」に与えることでしょう。仏教そのものに着目すれば、大乗仏教の国である日本も、上座部仏教の国であるミャンマーも、ともに仏教国ということになります。ともにブッダが説かれた「慈悲」という思いやりの心を大切にする国同士だということです。

 日本における仏教の教えは本来の仏教のそれとは少し違っています。インドで生まれ、中国から朝鮮半島を経て日本に伝わってきた仏教は、聖徳太子を開祖とする「日本仏教」という1つの宗教と見るべきだと、わたしは考えています。聖徳太子にはじまって最澄、空海、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮・・・といった偉大な僧が日本に出現していきました。

2010年1月に、日本人の「こころ」に暗雲を漂わす2つの言葉が生れました。

 「無縁社会」と「葬式は、要らない」です。前者はNHKスペシャルのタイトルで、後者は幻冬舎新書の書名ですが、このような言葉が生れてきた背景には、日本仏教の制度疲労があると思います。何の制度かというと、いろいろあるのですが、最も大きなものは檀家制度でしょう。身寄りのない高齢者、親類縁者のない血縁なき人々が急増して、それこそ檀家という制度が意味を成さなくなってきています。壇家制度とは、もともと戸籍を管理するという、行政上の、あるいは非常に政治的な発想で生れてきました。もちろん、今でも多くのお寺には多くの檀家さんがおられ、仏教を通じての縁を結んでおられるわけですが、そういった幸せな方々とは無縁の孤独な方々も増えているという事実を見逃してはなりません。

そこで、登場するのがこれまで日本人には馴染みの薄い上座部仏教です。

 わたしは思うのですが、最澄、空海、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮といった方々はブッダのエージェントというか、代理人のような存在であった。ならば、代理人によらないブッダという情報発信源にダイレクトにつながる仏教もある。それが、上座部仏教ではないかと思います。

 無縁社会を生きる方々は、ぜひ、ブッダと直接つながるべきでしょう。

 くれぐれも誤解しないでほしいのは、わたしは日本仏教、大乗仏教を否定しているわけではありません。檀家としてお寺と縁を結んでおられる方々は、そのまま続けられるとよいでしょう。でも、檀家になれない方々はには、上座部仏教と縁を結ぶという選択肢もあるのではないでしょうか。

最後に、「上座部仏教と日本仏教の平和な共存を願っています」と述べました。パネル・ディスカッションの終了後、300名を超す参加者の間から盛大な拍手が起こって、感激しました。

 このシンポジウムがきっかけになって、再開した世界平和パゴダが多くの方々に認知され、日本人が上座部仏教を知るようになってくれれば嬉しいです。

2013.11.1