第10回
一条真也
「エンディング・ノートのこころみ」

 

 青春座といえば、北九州の演劇界を代表する名門劇団です。先日、その青春座が「エンディング・ノート」という演劇を北九州芸術劇場で上演しました。

 公演に先立ち、コラボ企画として、わたしが「終活」をテーマとした講演を行いました。人生のグランド・フィナーレを迎える心がまえとともに、演劇のタイトルにもなったエンディング・ノートについても考えを述べました。

 高齢化社会を迎え、エンディング・ノートはますますその必要性を増しています。エンディング・ノートを遺言だと思っている方がいますが、まったく違います。遺言というのは、法的な拘束性がありますし、財産の分配などを記載します。自分がどのような最期を迎えたいか、そのような旅立ちをしたいか。そんな旅立つ当人の想いを綴るのが、エンディング・ノートです。

 まず、エンディング・ノートには「残された人たちを迷わせないため」という大きな役割があります。どんな葬儀や墓を希望するかといった問題はもちろん、病気の告知や延命治療などのデリケートな問題も書き込めます。本人も迷うでしょうが、そばにいる家族や知人はもっと迷い、悩んでいます。そんなときにエンディング・ノートに本人の意志が書かれていれば、どれだけ救われることか。

 またエンディング・ノートには、もう1つ大きな役割があります。 それは、自分が生きてきた道を振り返る作業でもあることです。

 最近は自分史を残すことが流行していますが、エンディング・ノートはその機能も果たしてくれます。気に入った写真を残す、楽しかった旅の思い出を書く、そんなことで十分なのです。

 最後に、愛する人へのメッセージを書き添えます。残された人たちは、あなたのその言葉できっと救われ、あなたを失った悲しみにも耐えていけるでしょう。

 わたしは5年前に『思い出ノート』(現代書林)という、自分史ノートの要素をミックスしたエンディング・ノートを刊行しました。おかげさまで、版を重ねています。

 さて、くだんの演劇の中では何度も『思い出ノート』が登場し、感激しました。舞台の上の役者さんたちが自分の作品を手に持って、または自分の作品を読みながら演技をする場面を見るのは初めての経験だったので、少しドキドキしました。

 良い思い出となりました。