92
一条真也
「小倉に落ちるはずの原爆」

 

 今年も、8月9日がやってくる。 「長崎原爆の日」である。わたしにとって、1年でも最も重要な日だ。
 わたしは北九州市の小倉に生まれ、今も小倉に住んでいる。そして、日々、生きていることの不思議さを思う。
 なぜなら、広島に続いて長崎に落とされた原爆は、本当は小倉に落とされるはずだったからだ。
 72年前、原爆が予定通りに小倉に投下されていたら、どうなっていたか。広島に投下された原爆では、約14万人の方々が亡くなられた。
 当時の小倉・八幡の北九州都市圏(人口約80万人)は広島・呉都市圏よりも人口が密集していたために、広島以上の数の犠牲者が出ただろう。
 当時、わたしの母は小倉の中心部に住んでいた。よって原爆が投下された場合は確実に母の生命はなく、当然ながらわたしはこの世に生を受けていなかったのである。
 その事実を知ってから、わたしはずっと「なぜ、自分は生を受けたのか」「なぜ、いま生きているのか」について考えるようになった。
 まさに、長崎原爆は、わたしにとって「他人事」ではない「自分事」なのだ。わたしも含めて、小倉の人々は、長崎原爆の犠牲者の方々を絶対に忘れてはならないと思う。
 しかし、悲しいことにその事実を知らない小倉の人々も多い。そこで「長崎原爆の日」の当日、わが社では毎年、「昭和20年8月9日 小倉に落ちるはずだった原爆。」というキャッチコピーで各全国紙に「鎮魂」のメッセージ広告を掲載している。ようやく北九州でも歴史上の事実が知れ渡ってきたようだ。
 その日は、いつも小倉にある本社の総合朝礼で、わたしが社員のみなさんに長崎原爆の話をし、最後に全員で犠牲者への黙祷を捧げる。
 家族葬に直葬と、日本では葬儀の簡略化が進んでいる。死者が軽んじられているような気がしてならない。
 しかし、生者は死者に支えられて生きている。わたしは、常に「死者のまなざし」を感じながら生きたい。