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一条真也
「『慈経』を知っていますか?」

 

 わが最新刊『般若心経 自由訳』(現代書林)がおかげさまで好評のようだ。「般若心経」は大乗仏教を代表するお経として知られるが、仏教にはもうひとつ、上座仏教がある。
 かつては「小乗仏教」などと呼ばれた上座仏教はスリランカ、タイ、ミャンマーなどに伝わり、僧侶たちはブッダの教えを忠実に守り、厳しい修行に明け暮れてきた。その上座仏教の根本経典が「慈経」である。
 5年前、東京は北品川のミャンマー大使館において、わたしはミャンマー仏教界の最高位にあるダッタンダ・エンパラ大僧正にお会いした。
 北九州の門司にある日本で唯一の本格的ミャンマー式寺院「世界平和パゴダ」の支援をさせていただいているご縁からだが、そのとき大僧正より「慈経」の本を手渡された。
 「慈経」はブッダの最初の教えとされ、もともと詩として読まれていた。わたしも、なるべく吟詠するように、千回近くも音読して味わった。そして、自分自身で自由訳をしたいと思い至り、『慈経 自由訳』(三五館)を上梓した。3年前のことだ。
 生命のつながりを洞察したブッダは、人間が浄らかな高い心を得るために、すべての生命の安楽を念じる「慈しみ」の心を最重視した。
 そして、すべての人にある「慈しみ」の心を育むために「慈経」のメッセージを残した。そこには、「すべての生きとし生けるものは、すこやかであり、危険がなく、心安らかに幸せでありますように」と念じるブッダの願いが満ちている。
 さらには、わたしたちは何のために生きるのか、人生における至高の精神が静かに謳われている。
 わたしたち人間の「あるべき姿」、いわば「人の道」が平易に説かれているのだ。その内容は孔子の言行録である『論語』、イエスの言行録である『新約聖書』の内容とも重なる。
 「慈経」の教えは、老いゆく者、死にゆく者、そして不安をかかえたすべての者に、心の平安を与えてくれるだろう。ぜひ、ご一読を!