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一条真也
「仏壇ほどすごいものはない」

 

 昨秋刊行の拙著『なぜ、一流の人はご先祖さまを大切にするのか?』(すばる舎)がおかげさまで好評のようだ。同書に仏壇のことを書いたところ、かなりの反響があった。
 最近は仏壇を置く家がすっかり少なくなったが、わたしは「仏壇ほどすごいものはない」と思っている。 仏壇は家の中の寺院であり、抽象的で難解だった仏教の「見える化」を成功させた画期的なツールである。仏壇の中には仏像が安置されている。仏像の横には、儒教をルーツとする先祖の位牌があり、その仏壇そのものが最も活躍するのは神道の先祖祭りもルーツとするお盆である。
 つまり、この不思議な函は、神道にも仏教にも儒教にもアクセスしているマルチ宗教メディアなのだ。
 また、仏壇はマルチ・メディテーション・ボックスでもある。それは何でも取り込んでしまう函であり、そこには仏像や位牌はもちろん、経典、蝋燭、線香、花、茶など、それぞれ単独でも大いなる「癒し」のパワーを発揮するアイテムが所狭しと並ぶ。仏壇の前に座って手をあわせ、目を閉じれば、これ以上にリラックスできる時間はない。
 さらに、仏壇はタイムマシンの役割も果たす。はるか昔のご先祖さまに想いを馳せ、最近亡くなった祖父母や両親を思い出し、未来の子孫のことを考える。つまり、過去にも未来にも行き放題のタイムマシンだ。
 しかも仏壇は、最高の教材にもなる。仏壇の前で親が手をあわせ先祖供養をする。毎日その姿を子どもに見せることほど、教育的効果のある行為が他に存在するだろうか。仏壇の前で正座する両親を見て育った子は、必ずや「感謝の心」という人生で最大の宝物を手に入れるだろう。
 何よりも、仏壇はご先祖さまが子孫を守ってくれる最強のホーム・セキュリティーである。このように仏壇は、さまざまな力を秘めている。こんなすごい函が、世界のどこにあるだろうか。仏壇をつくった日本人のセンスも、本当にすごいと思う。