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一条真也
「誰にも『人生の四季』がある」

 

 2年半にわたって連載してきたこのコラムも、今回で最終回である。これまでのご愛読に心より感謝するとともに、みなさまに連載を修めるラスト・メッセージをお伝えしたい。最後は連載タイトルの「人生の四季」についてお話しよう。
 冠婚葬祭業を営んでいると、日々、多くの「愛する人を亡くした人」にお会いする。100歳を超える高齢で大往生された方から、生まれたばかりの赤ちゃんまで、亡くなられた人の年齢は、さまざまである。
一般に、高齢であればあるほど悲しみはより浅く、若ければ若いほど悲しみはより深いとされている。
 わたしは、すべての人間は自分だけの特別な使命や目的をもってこの世に生まれてきていると思う。この世での時間はとても大切なものだが、その長さはさほど重要ではない。
 明治維新を呼び起こした一人とされる吉田松陰は、29歳の若さで刑死したが、その遺書ともいえる『留魂録』に次のように書き残した。
「今日、死を決心して、安心できるのは四季の循環において得るところがあるからである。春に種をまき、夏は苗を植え、秋に刈り、冬にはそれを蔵にしまって、収穫を祝う。このように一年には四季がある」
 そして、松陰は人間の寿命についても次のように述べた。
「人の寿命に定まりはないが、十歳で死ぬ者には十歳の中に四季がある。二十歳には二十歳の四季がある。三十歳には三十歳の四季がある。五十歳、百歳には五十歳、百歳の四季がある。私は三十歳で死ぬことになるが、四季は既に備わり、実をつけた」
 松陰の死後、その弟子たちは結束して、彼の大いなる志を果たした。松陰の四季が生み出した実は結ばれ、その種は絶えなかったのである。
 松陰だけでなく、「人生の四季」は誰にでもある。せめて、四季折々の出来事を前向きに楽しみながら、後の世代に想いを託し、最後は堂々と人生を卒業してゆきたいものだ。
それでは、また会う日まで!