第6回
一条真也
「長寿祝いをやりましょう!」

 

 いわゆる「老いの神話」というものがあります。高齢者を肉体的にも精神的にも衰退し、ただ死を待つだけの存在とみなすことです。この「老いの神話」は、次のようなネガティブなイメージに満ちています。すなわち、老人とは「孤独」「無力」「依存的」「外見に魅力がない」「頭の回りが鈍い」など。しかし、物事というのは何でも見方を変えるだけで、ポジティブなイメージに読み替えることが可能なのです。
 たとえば、高齢者は孤独なのではなく、「毅然(きぜん)としている」のだ。無力なのではなく、「おだやか」なのだ。依存的なのではなく、「親しみやすい」のだ。外見に魅力がないのではなく、「内面が深い」のだ。そして、頭の回りが鈍いのではなく、「思慮深い」のだ、といったふうにです。
 日本の神道は、「老い」というものを神に近づく状態としてとらえています。神への最短距離にいる人間のことを「翁」と呼びます。また七歳以下の子どもは「童(わらべ)」と呼ばれ、神の子とされます。つまり、人生の両端にあたる高齢者と子どもが神に近く、それゆえに神に近づく「老い」は価値を持っているのです。だから、高齢者はいつでも尊敬される存在であると言えます。
 アイヌの人々は、高齢者の言うことがだんだんとわかりにくくなっても、老人ぼけとか痴呆などとは言いません。高齢者が神の世界に近づいていくので、「神用語」を話すようになり、そのために一般の人間にはわからなくなるのだと考えるそうです。  これほど「老いの神話」を無化して、「老い」をめでたい祝いととらえるポジティブな考え方があるでしょうか。「老い」とは人生のグランドステージを一段ずつ上がっていって翁として神に近づいていく「神化」に他ならないのです。
 日本には、長寿祝いというものがあります。61歳の「還暦」、70歳の「古稀」、77歳の「喜寿」、80歳の「傘寿」、88歳の「米寿」、90歳の「卒寿」、99歳の「白寿」、などです。
 そのいわれは、次の通り。還暦は、生まれ年と同じ干支の年を迎えることから暦に還るという。古稀は、杜甫(とほ)の詩である「人生七十古来稀也」に由来。喜寿は、喜の草書体が「七十七」であることから。傘寿は、傘の略字が「八十」に通じる。米寿は、八十八が「米」の字に通じる。卒寿は、卒の略字の「卆」が九十に通じる。そして白寿は、百から一をとると、字は「白」になり、数は九十九になるというわけです。
 沖縄の人々は「生年祝い」としてさらに長寿を盛大に祝いますが、私は長寿祝いにしろ生年祝いにしろ、今でも「老い」をネガティブにとらえる「老いの神話」に呪縛されている者が多い現代において、非常に重要な意義を持つと思っています。それらは、高齢者が厳しい生物的競争を勝ち抜いてきた人生の勝利者であり、神に近い人間であるのだということを人々にくっきりとした形で見せてくれるからです。それは大いなる「老い」の祝宴なのです。
 かつて、古代ギリシャの哲学者であるソクラテスは、「哲学とは、死の学びである」と言いましたが、私は「死の学び」である哲学の実践として二つの方法があると思います。一つは、他人のお葬式に参列することです。もう一つは、自分の長寿祝いを行なうことです。神に近づくことは死に近づくことであり、長寿祝いを重ねていくことによって、人は死を想い、死ぬ覚悟を固めていくことができます。もちろん、それは自殺とかいった問題とはまったく無縁で、あくまでもポジティブな「死」の覚悟です。
 人は長寿祝いで自らの「老い」を祝われるとき、祝ってくれる人々への感謝の心とともに、いずれ一個の生物として自分は必ず死ぬのだという運命を受け入れる覚悟を持つ。また、翁となった自分は、死後、ついに神となって愛する子孫たちを守っていくのだという覚悟を持つ。祝宴のなごやかな空気のなかで、高齢者にそういった覚悟を自然に与える力が、長寿祝いにはあるのです。
 そういった意味で、長寿祝いとは生前葬でもあります。私は、この長寿祝いという、「老い」から「死」へ向かう人間を励まし続ける心ゆたかな文化を、ぜひ世界中に発信したいと思っています。
 そして、本当の「老いの神話」とは、みじめで差別に満ちた高齢者の物語などではありません。
 人は老いるほど豊かになる。なぜなら、人は老いるほど神に近づくからである。この愉快で楽しい物語こそ、新しくて、本当の「老いの神話」であると示したいのです。
 長寿祝いをやりましょう!