第1回
佐久間庸和
「ハートフルとは何か」

 

 わたしは北九州市に住んでいる。
 地元の小倉高校を卒業した後は東京の大学に進学、卒業後も数年間は東京で仕事をした。 その後、故郷である北九州市に戻り、それから18年近くの時間が経過した。
 今年の2月、わたしは第2回「孔子文化賞」を授与された。尊敬する稲盛和夫氏(財団法人稲盛財団理事長)との同時受賞ということもあり、誠に名誉であると思っている。
 わたしの受賞理由としては、まず、「一条真也」のペンネームでの執筆活動や、主宰する平成心学塾を通じて、孔子および儒教の思想や倫理思想の普及に貢献したこと。加えて、大学の客員教授として日本の学生や中国からの留学生に孔子研究の授業を行ってきたこと。さらには、社長を務めるサンレーの社業を通じて「礼」の実践に努めたことなどだそうだ。
 それらの理由の中で最もうれしかったのは、社業を通じての「礼」の実践が認められたこと。「礼」とは、わが社の事業である冠婚葬祭の根本となるものである。そして、それは「人間尊重」の心でもある。
 「礼」は、孔子が開いた儒教の真髄といえる思想だ。それは、後世、儒教が「礼教」と称されたことからもわかるだろう。
 そもそも「礼(禮)」という字は、「示」と「豊」とから成っている。漢字の語源にはさまざまな説があるが、「示」は「神」という意味で、「豊」は「酒を入れた器」という意味があるという。つまり、酒器を神に供える宗教的な儀式を意味したようだ。
 古代には、神のような神秘力のあるものに対する禁忌の観念があったので、きちんと定まった手続きや儀礼が必要とされた。これが、「礼」の起源だと言われているのだ。
 ところが、もう一つ、「礼」には意味がある。「示」は「心」であり、「豊」はそのままで「ゆたか」というものだ。ということは、「礼」とは「心ゆたか」の意味になる。つまるところ、本コラムの連載タイトルにも入っている「ハートフル」ということになる。
 わたしは1988年に最初の著作である『ハートフルに遊ぶ』を書いた。そのとき、「ハートフル」は一種の流行語になったが、その後、北九州市のスローガンになっている。その「ハートフル」が「礼」の同義語でもあると知ったとき、わたしは大いに驚いた。
 これから毎月1回、わたしは北九州の地から、すべての日本人が心ゆたかになるためのメッセージを送り続けたいと思う。